ネコカブリ
ボルゾイは犬らしくないと思う…中身も外見も。 羊でも山羊でもアリクイでもダチョウでもない面妖な犬とのちょっと非日常生活。
2008'06.08 (Sun)
フレンドリー
ボクは猫が好きだ。
しかし、普段とてつもなく大きな犬を連れているせいで、どの猫もみんなボク達を見ると固まるか逃げて行ってしまう。仕方がないこととはいえ寂しいものだ。
さてそんなある日・・・

電信柱の向こうから視線を感じる。

いつも思うが、どうして猫というのは視線ビームを発するのだろうか?かなり遠くにいても、その気配がこちらに伝わってくるように思う。

逃げるかな・・・と思いつつ近づいたら、ごろごろ転がりはじめた。飼い猫らしく、首輪をしていて、オッドアイの目が綺麗な猫だ。

ゴロウはボク達の前でもかように寛ぎまくっていた。撫で回しても文句を言わない。
こんなんでいいのか?

肉球のUPまで撮らせてくれた。猫の肉球ってめちゃくちゃ可愛い。

帰ったら力丸が心なしか冷たかった。
浮気がばれた・・・というか、浮気じゃないからね。
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しかし、普段とてつもなく大きな犬を連れているせいで、どの猫もみんなボク達を見ると固まるか逃げて行ってしまう。仕方がないこととはいえ寂しいものだ。
さてそんなある日・・・

電信柱の向こうから視線を感じる。

いつも思うが、どうして猫というのは視線ビームを発するのだろうか?かなり遠くにいても、その気配がこちらに伝わってくるように思う。

逃げるかな・・・と思いつつ近づいたら、ごろごろ転がりはじめた。飼い猫らしく、首輪をしていて、オッドアイの目が綺麗な猫だ。

ゴロウはボク達の前でもかように寛ぎまくっていた。撫で回しても文句を言わない。
こんなんでいいのか?

肉球のUPまで撮らせてくれた。猫の肉球ってめちゃくちゃ可愛い。

帰ったら力丸が心なしか冷たかった。
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2008'05.31 (Sat)
七変化丸
10代後半は、誰でも魂が彷徨う時期だと思う。
ボクが10代後半だったころはまだネットはなかったから、誰かの意見を聞きたいと思ったときにはエッセイを読んだ。今で言う個人ブログのような印象だろうか?
大概のエッセイは、何処かの雑誌に掲載されたものを集めて単行本にしたものだった。女流作家も、男性の作家も、本屋で見かけたものを手当たり次第に読み漁った。人に飢えていたのだ。
その時仕入れた情報は断片的に今でも頭の中に残っている・・・書くと高尚なイメージだが、覚えている内容は大抵どうでもいいことばかりだ。
そうしたどうでもいい記憶の一つに、「名前にケンのつく男児は必ず名字と縮小して呼ばれる宿命である」というような記載が椎名誠の文章にあった。
当時早速知り合いについて考えてみても、
「イトウ ケンジ→イトケン」「アサイ ケンジ→アチャケン」というように、その法則は確かに存在した。
今だって、指揮者の小林研一郎だってコバケンと堂々とポスターに書いてあるのだ。
話変わって、我が家の猫の力丸は、「リキマル」と呼ばれることが滅多にない。

悪いことをしている時→ワルマル
寝ぼけている時→寝ぼけ丸
甘えている時→甘え丸
下痢をしている時→下痢丸
といったように、そのときの状態に合わせて語尾に丸がつくという活用をするのだ。この法則が普遍的だと感じたのは、大人気ペットブログの富士丸の呼び方が、同じように変化していくのを知ってから。きっと○○丸という名前はケンと同じように変化する運命なのだ。
我が家の他の子供達はどうだろうか?

ニールにはあまりバリエーションはない。もともとレオニードという名前が訛ってニールになったのだが、もはや誰も元の名前で呼ばないから、本人も忘れてしまった。

アシュレイにもあまりない。せいぜいアシュ、と呼ぶくらい。

クラリスは結構バリエーションがある。
甘えクラ・スネクラ(拗ねている)・邪魔クラ・クラリーナ・ヤギリス・・・色々不規則活用するようだ。

呼ばれる方はどれくらい認識しているのか?というと、大概どんなヘンテコな呼び方をしてもちゃんと振り向くから、解っているみたい。多分音声というより雰囲気で解るのだろう。
★加筆修正しました。
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ボクが10代後半だったころはまだネットはなかったから、誰かの意見を聞きたいと思ったときにはエッセイを読んだ。今で言う個人ブログのような印象だろうか?
大概のエッセイは、何処かの雑誌に掲載されたものを集めて単行本にしたものだった。女流作家も、男性の作家も、本屋で見かけたものを手当たり次第に読み漁った。人に飢えていたのだ。
その時仕入れた情報は断片的に今でも頭の中に残っている・・・書くと高尚なイメージだが、覚えている内容は大抵どうでもいいことばかりだ。
そうしたどうでもいい記憶の一つに、「名前にケンのつく男児は必ず名字と縮小して呼ばれる宿命である」というような記載が椎名誠の文章にあった。
当時早速知り合いについて考えてみても、
「イトウ ケンジ→イトケン」「アサイ ケンジ→アチャケン」というように、その法則は確かに存在した。
今だって、指揮者の小林研一郎だってコバケンと堂々とポスターに書いてあるのだ。
話変わって、我が家の猫の力丸は、「リキマル」と呼ばれることが滅多にない。

悪いことをしている時→ワルマル
寝ぼけている時→寝ぼけ丸
甘えている時→甘え丸
下痢をしている時→下痢丸
といったように、そのときの状態に合わせて語尾に丸がつくという活用をするのだ。この法則が普遍的だと感じたのは、大人気ペットブログの富士丸の呼び方が、同じように変化していくのを知ってから。きっと○○丸という名前はケンと同じように変化する運命なのだ。
我が家の他の子供達はどうだろうか?

ニールにはあまりバリエーションはない。もともとレオニードという名前が訛ってニールになったのだが、もはや誰も元の名前で呼ばないから、本人も忘れてしまった。

アシュレイにもあまりない。せいぜいアシュ、と呼ぶくらい。

クラリスは結構バリエーションがある。
甘えクラ・スネクラ(拗ねている)・邪魔クラ・クラリーナ・ヤギリス・・・色々不規則活用するようだ。

呼ばれる方はどれくらい認識しているのか?というと、大概どんなヘンテコな呼び方をしてもちゃんと振り向くから、解っているみたい。多分音声というより雰囲気で解るのだろう。
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2008'04.08 (Tue)
バスタイム
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