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2008'05.21 (Wed)

あかたろう

以前、ホテルで風呂に入ったとき、体を洗うタオルを忘れたことに気がついた。

ボクは家では、フェイスタオルとして売られている小さめの柔らかいタオルで洗っている。体を洗うようのスポンジもいくつか使ってみたことがあったが、結局はタオルが一番気持ちいいように思うのだ。

さておき、タオルを忘れてしまい、どうしたものかと考えた。ホテルのタオルはゴワゴワして、洗いにくそうだし・・・結局、タオルを使わず、手のひらにボディソープをつけて体を洗った。するとタオルがなくても意外に泡立ち、まあまあちゃんと洗えた。

そしてそのとき、どうして自分の知っている文化圏では、手や顔を洗うときには掌であらうのに、体を洗うときには道具を使うのだろう?という疑問が沸いてきた。まあ、背中などは届かないから、ということはあるけれど、掌と道具と、いったいどっちが綺麗になるのだろう・・・などと、どうでもよいことを考えながら風呂に入った。



そこからさらに思い出したのが、「あかたろう」というお話。たしか小学校の教科書に載っていた(※小生が小学生だったのはとてつもなく昔のことだ)。

ボクの覚えている「あかたろう」は・・・

『昔々、大変にものぐさなおじいさんと、同じく大変にものぐさなおばあさんが2人で住んでいました。二人は何をするにもものぐさで、日がな一日何もせず、腹が減ってもなにもせず、風呂にも入りませんでした。もう長いこと風呂に入らなかったのですが、ある日、風呂に入ってみようと思い立ち入ったら、何年分かの垢がでるわでるわ・・・

2人分の垢で1つの大きな団子ができました。するとその垢がぱかっと割れて、中から赤ん坊が出てきました。2人はびっくりしましたが、あかたろうと名付け、かわいがって育てました。

あかたろうはすくすく成長し、ある日鬼退治にでかけました。そして鬼を退治し、立派になって戻ってきました』



以上がボクの思い出の中に保存されている「あかたろう」の出だしだ。オリジナルとはかなり違うだろうが、とにかくこんな話だった。
今思えば、凄いおじいさんとおばあさんがいたもんだ。これがおじいさんだけものぐさとか、おばあさんだけものぐさとかなら驚かないし、そんな人は今でもそこら中にいるけれど、2人して、というのが潔い。(この後、おじいさんとおばあさんは、あかたろうのためにちゃんと田畑を耕して働くようになる)

思うに、人はあくせく働いているだけでは、働かないよりはいいかもしれないけれど、それだけでは大切なものは見えない。かといって、何もしなければいろいろ見えてくるかというと、そうでもない。人は適度に何かをなしえて喜びを得るし、自身の存在を肯定する。

また生き物には時間軸があって、若い頃の有り様と、年をとって第一線を引退してからの有り様はまた違ってくるだろう。
人間の渦の中で、自分が今するべきこと、するべき役割、そういったものをちゃんと解っている時、一人の人間は世界の内側と外側の狭間に存在するのだと思う。


追記:今、これを書く前に「あかたろう」についてネットで調べてみたら、「あかたろう」は、最後がちょっとしんみりするお話だった。興味を持たれた方は是非読んでみてくださいね。



nekogreen59


関係ないけれど、シャクヤクの花。先日の東山植物園に咲いていた。ご存じ「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の芍薬だ。写真の通り沢山の花びらが美しい。


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テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

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Comment

あかたろう、を調べてみます!
幸福の鍵のひとつは、バランス良く生きること!?
なんでしょうかね。
しまっち | 2008年05月25日(日) 21:53 | URL | コメント編集

★しまっちさん

そうですね、そしてバランスよく生きるということがまた難しい。
1人の人が、自分をよく理解し、等身大の自分でいること、あるがままでいることが、ひいては自分を取り巻く世界とも調和していけるのでしょうが、我々は自分たちを周囲に合わせて作り替えることをバランスがよいと捉えがちですよね。

長い時間を掛けて、自分を見つけていこうと思います。そして、自分を見つけるためには、自分以外の人間が自分を見つけてくれることが必要だと思います。
ロビン | 2008年05月27日(火) 22:22 | URL | コメント編集

このお話で、あかたろうは、なぜ、溶けてなくなる必要があったんだろう。しんみり悲しい感じだなぁ。

大切な人が突然消えてしまうのはつらいです。

僕も自分以外の人が自分を見つけてくれることの必要を感じます。

しまっち | 2008年05月30日(金) 22:51 | URL | コメント編集

★しまっちさん

同様の話に、「雪むすめ」という話があります。子供に恵まれない夫婦が、ある日雪で女の子の形の人形を作ったら、それが動き出し、夫婦に幸せをもたらしたという話です。この話でも、娘は春が来て溶けて消えてしまいます。

不可思議な力によってもたらされた存在は、ある一定の影響を与えた後、去る運命なのかもしれません。不可思議が存在し続けることは、リアリティの不在を示しますし・・・

少年がロボットなどと出会うストーリーも、その後大人になるまでロボットといることはなく、何処かでお別れをします。少女が魔法を手に入れても、いつか魔法を返すことになります。

物語における特別な力(を持つ存在)は、主人公が成長するのを助け、それがかなうと去っていく。別れは寂しいけれど、我々が別れることができる段階まで、きっと彼らは側にいてくれると思います。
ロビン | 2008年06月01日(日) 22:33 | URL | コメント編集

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